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あきらめない
全盲の英語教師・与座健作の挑戦

著者: 山城紀子 著

本体価格: \1,600(税別)
サイズ: 四六判上製 238頁
ISBN: 4-8331-3138-2
発行年月: 2003年12月刊

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■内容説明

少年のとき視力を失いながら、「見えなくてもできること」を積み重ね、念願の教師に。困難と向き合いながら、迷いつつ、悩みつつ前進。それを乗り越えるべく差しのべられた、たくさんの支援の手……。すがすがしい感動を呼ぶ人間ドキュメント!
 

■目次

まえがき

T 失明
プロローグ――小学校にて
誕生
失明の告知
小学校入学
点字を習う
初めての「席替え」
沖縄盲学校
「盲人野球部」
かりゆし大会

U 遠い道
筑波大学附属盲学校
「趣味は迷子」
親として
モヒカン刈り騒動
将来の設計
英語が好きになったわけ
点字受験
山田さんの歩み
予備校
点訳ボランティア
琉球大学を歩く
大学の受け入れ準備

V メッセージ
新たな挑戦
勉学とサークル
卒業へ
教員採用試験
教育実習
四度目の挑戦
「エイラ」の励まし
五度目で得た「合格」
「私の分まで」
三年目の教壇
メッセージ
結婚

あとがき

■書評・紹介記事

「沖縄タイムズ」2003年12月21日
「全盲教師、奮闘描く――『あきらめない』全国発売」
[記事全文]

「琉球新報」2004年1月11日 竹下小夜子(精神科医)評
「私たちの「常識」が、個人の可能性をいかに狭める「偏見」となり得るかを著者は指摘する」

「沖縄タイムズ」2004年1月17日 稲葉耶季氏(琉球大学教授)評
「自分はなにをしたいのか、なんのために生きているのか。今の若い世代の人たちの多くは、この、容易に解答が得られない疑問の前で立ちすくんでいる。そのような人たちにこの本を読んでもらいたい。全盲の与座健作さんが、どのように生きてきたか、どのような思いで生きているのかを知るのは、自分自身を知るための、よいものさしになる」
[記事全文]

「サンデー毎日」2004年1月25日 小林照幸氏評
「本書は与座さんの半生を丁寧に描くことで、社会、行政に対してノーマライゼーションのありかたを提言している。与座さんの姿から『見えていることで得られるものと、見えないことで得られるものの両方を生かせる社会の構築』を具体的に展望する」

「週刊読書人」2004年2月6日号 伊高浩昭氏(ジャーナリスト)評
「網膜色素変性症」という原因不明で治療法のない病気により視力を失った与座健作という三一歳の教諭の、生きる道を切り開く闘いの記録だ。ベテラン記者である著者は「〈見えない〉こととは、どういうことなのか」と発想し、「見えることで〈見えない〉ことを、見えないことで〈見える〉ことを考えさせられた」と述懐する。大阪生まれの健作は父親の郷里沖縄に移り住むが、視力は幼年時代から乏しかった。病名と将来失明することを知った母親早智子は〈親としての責任〉をいかに果たすかを考え、「配慮はするが特別扱いせず普通に育てる」方針を固める。例えば、〈晴眼者〉でも食べにくい骨が多い魚を食卓に出す。健作が友人の家や修学旅行の宿で、そんな魚が出たときに困らないようにするためだ。愛情を込めた厳しいしつけだった。
 健作が四年生のとき早智子は、見えなくなってから困らないようにと、少し視力が残っていた健作に点字を習わせる。そのころ修得したギターの演奏は、いまも続いている。
 五年生のときの運動会でのリレーで、健作はコースを大きく外れて走った。六年生になって盲学校に転校、卒業して東京の筑波大学付属盲学校高等部に進学する。息子の自立を願う母親は、敢えて息子を独りで生活させ、息子もこの試練をしかと受け止めた。
 早智子は、健作ら三人の子どもを育てながら保険外交員、観光土産店販売員、食品配達など働きづくめの毎日だった。「子どもにだけ目を向けていると自分が駄目になり、そうなれば子どもによくない」との思いがあった。「親は子どもに育てられて親になる」と言い切る早智子だが、この優れた母親の存在が大きかったのは言うまでもない。
 やがて健作は大学進学か、〈あはき〉(按摩・鍼・灸)師を育成する沖縄盲学校専攻科入りかの選択を迫られる。母親は、専攻科に進みたいと言う息子に大学進学を勧める。そこで那覇で一年間予備校に通ってから一九九二年、琉球大学を受験し合格する。開学以来の全盲者の受験ということで、受験すること自体に多くの障害があったが、関係者の支援もあってすべてを克服し合格できたのだ。
 健作は、社会人生活に備えて在学中から卒業後にかけて教員試験を受ける。かなり優秀な成績を収めながら四回も不合格となり、落胆する。だが九九年、最後と決意した五回目の受験で合格し、沖縄県立盲学校高等部の英語教師になった。
 快挙はメディアで広く取り上げられ、全盲の人々は「闇の中の光り」と喜んだ。二○○三年には盲学校の同僚だった女性と結婚し、父親になる。健作はいまや、普通の学校の教師も経験したいと希望するが、その門はなかなか開かない。
 息子と賢母と支援者たちのたくましいドキュメンタリーだが、個人や関係者の努力には限界があり、制度の確立が不可欠だ。著者は、「憲法で職業選択の自由が保障されているが、視覚障害者には事実上〈あはき〉になる道しかない」との声を紹介しつつ、「障害者の教師を普通の学校の教壇に立たせない教育現場で〈障害はあっても可能性は限りない〉と教えても、子どもたちは不信感を募らせるだけだ」と、健作のような優れた人材である障害者を活用しきれない社会や教育当局を鋭く批判する。
 
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