新刊書店
移転のためにすっからかんになった書棚をいつまでもそのまま眺めていたかったが、そういうわけにもいかず、だらだらと重たい段ボール箱をあけていったところ、どうあってもすべての本は納まり切らないという事態になった。忘れていたが、移転前も書棚はあふれかえっていて、部屋の至る所に鍾乳洞よろしく床から本が生えていたのだった。 思い切って読まない本を売ったり捨てたり、どうにか部屋の床から生えたものを排斥できたのも束の間、二週間ぶりに入った大型書店がいけなかった。店を出た時には数冊のハードカバーと雑誌を抱え、腕が重くて仕方ない、なんてことになっていた。飢えた時に食べ物を見てはいけない。 古書店で時空間を超えた出会いをするのも素敵だけれど、新刊書店で平積みになった新刊書の顔を眺めて歩くのも、間違いなく逃れがたい快楽のひとつに数えられる。世の中には二種類の人がいて、それは本を好きな人とそうでない人のことで、書物というのはどうしてこんなにも人をひきつけるものなのだろう、とあきらかに前者である自分はふかく思い、一度書店に入ってしまえばなかなかそこを離れることができないのだ。 毎日、毎月、山のように出版される新刊書籍、文庫、雑誌の森にわけいってしまうのはなぜなのか。そこに、それを見過ごしたことを一生後悔してしまうような一冊があるのではないかという思いを、何年たってもどうしても拭い去ることができないのは、どうしてだろうか。 ガーデニングや喫茶装飾やレストアや、自分の実人生を鑑みてあきらかに縁のなさそうな内容であっても、「書物」というかたちをしているとふと目をひいてしまうことがある。手に取ってしまうこともある。あまつさえそれを持ってレジに向かってしまうことがある。 いわんこっちゃない…と書店印の入ったビニール袋をちぎれそうにさせながら、電車の改札口へ向かう足取りは、しかし(あきらかに)軽いのであった。
日が暮れてからの空気も春らしくティースプーンを溢れるみりん 兵庫ユカ「七月の心臓」
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