9月某日・沖縄(角筈みづえさんのブログ日記から)
リゾートホテルに着いたら、アロハっぽい制服のベルボーイのお兄さんが両手にスーツケースを下げ、案内しながら、「海にいちばん近い部屋ですよ!」と満面の笑顔で云った。その部屋までいくつもの外廊下を通って行くあいだ、何度も何度も、海にいちばん近いんです!と云った。ドアを開け、部屋の中を説明し終えて、また云ったので、私はもうやめてくれと思った。さっきまであんなに幸せだったのにもうわからなくなっていた。それが本当にいいことなのか、どうして海に近い部屋がよかったのか。さっきまで私たちは海に近いことがあんなにもうれしい動物だったのに、もうそこには戻れないのだ。
海沿いのホテルは歌う白熊も「Let it snow, let it snow, let it snow」
9月某日 那覇のお寿司屋さんへ。うみぶどうなどおいしい。だけじゃなく美しい。アオブダイを握ってもらったり。私にとってお寿司は宝石感がすごく強いのだが(自然の素材が激しく凝縮されてできたのがダイヤやルビーだとしたらその意味で寿司は自然の結晶を切り取ってきたものだと思う)、沖縄の寿司はもっとその感じが強い。 最後に特産だというシジミのお吸い物にびっくり。ハマグリより一回りも大きいのだ。
シーサーとシークァーサーを間違えてすっぱいケモノに犯される夢
赤上げて白上げないで赤下げないあれ食べないで明日死ねない
9月某日 沖縄にいると永遠がふつうにぽこっとそこにある気がする。南仏のエズに行ったことがあるが、のんびりした海岸のすぐそばから急に断崖が立ち上がり、その上に村がある。そこでニーチェはツァラトゥストラを書いた。そのような自然の中で彼が考えた永遠には複雑なヒダがあった。カントール(演劇ではなく数学の方の)が無限にも大小があることを証明したように、ニーチェはそれまでのっぺりしていた永遠に複雑な綾(彩)をつけたのだ。 私はエズの永遠より、オキナワの永遠が好きだ。
イカ墨のスープの底に乳白に輝く真珠があったら 私
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