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■内容説明
「農本」の思想には「反動思想」の烙印がつきまとう。だが、近代的「知」こそ人間の心の深層に宿る悪や闇、非合理なものへの理解を妨げ、それがファシズム体制を呼び込んだのだ。農本思想の多元性と可能性を問う内在的批評の試み。
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■目次
第一章 小林杜人と転向
第二章 横田英夫試論
第三章 島木健作における「美意識」
第四章 岩佐作太郎の思想
第五章 保田與重郎の「農」の思想
第六章 河上肇と「無我苑」
第七章 近代日本における「修養」
第八章 農業教育に生涯ささげた 山崎延吉
あとがき |
■書評・紹介記事
「日本農業新聞」2005年1月16日
日本の「農」は、すさまじい近代化の嵐で瀕死の重傷を負った。生き残りをかけて、多くの思想家や運動家が戦ってきた。その思念の原点には「農本主義」があったが、近代化のそれぞれの時期に、鮮烈に現れて消えていった。思想も生き方も異なる群像に焦点を当てて、それぞれの「農」の思想の解明を試みたのが本書である。
筆者は、近畿大学文芸学部教授であり、専門は政治学である。土着思想、農本主義思想に着目し、近代日本国家の発展過程、日本人の情念の移ろいの中にある「農」の思想を探求した。
農学者ではない著者が、なぜに「農」に強い執着を抱いたのか。その中で、対照的な登場人物3人を取り上げてみよう。
マルクス主義労農運動の小林壮人は、共産党活動で投獄されたが、郷土の土、農、家族への思いから転向、国民思想の普及に努め、多くの転向者を救済した。また、横田英夫は、大正末期の農政評論家で、自らが中部日本農民組合を組織し、小作料低減運動を指導し、地主階層を震え上がらせた。
もう一人注目すべき人物は、明治、大正、昭和にかけて、農業教育を実践した山崎延吉ではなかろうか。彼については、かつて「日本農業新聞」に連載され、読者の感動を呼んだ。著者は、飽食、華美に流される現代に「何かが欠落し、何かが異常に突出している」と嘆じ、「我は農に生まれ、我は農に生き、我は農を生かさん」と全身全霊で生涯を農業教育にささげた山崎翁を、行動する思想家として熱く論じているのだ。
「農」の在り方が再び問われているときだけに、読み進むうちに、先人らの求めた「何か」が浮かんでくる。
「中日新聞」2004年8月23日
……人間性喪失が極限に達した現代社会において、自然との共存を主張した農本思想の有効を論じる。 |
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