|
|
|
|
■内容説明
や、こりゃおもしろい! 痛快! 新鮮! でも、ちょっとへりくつ? カビくささの残るこれまでの老荘思想の見方をガラリと変える、目からウロコの新発想! 中日新聞「ひもとく」欄好評連載を大幅加筆・再編集して一冊に!
|
■目次
はじめに――老子・荘子の魅力
『老子』への招待
なぜ「水のごとし」なのか
老子は「無為自然」とは言っていない
万物は使い捨て
人間が思い上がった、そのとき
便利な道具が世の中をおかしくする
永遠に続く暴風雨などない
他人を追い越そうとする者は自滅する
俗物どもに笑われてこその「道」
「道」とは、いったい何なのか?
「学」はいらない
もう軍馬はいない、『老子』理想の風景
俗世の中にいる老子
和光同塵
ヘタくそに見えてこその美
すごんでいるのは臆病のあらわれ
最大の危機回避の方法としての「不争」
勝負師
愚か者ほど先頭に立ちたがる
トイレットペーパーの芯のごとく
中心になる人は自己主張をしない
ちょっと馬鹿にされるぐらいでいい
はた迷惑な「礼」大好き人間
知ったかぶりほど恥ずかしいことはない
老子の美学の真骨頂
人を信頼できない人にかぎって
寄せ集めの知識は薄っぺら
「道」という大法則
『老子』には固有名詞がない
水にまさる兵器なし
戦いへのためらい
無政府主義としての老子
とりあえず学問なんか捨ててしまおう
『老子』は歌うように、口ずさむように
【コラム】老子、天竺に渡る
『荘子』への招待
『荘子』開巻
既成概念の取り壊しが今はじまる
奇想天外な幕開け
まるで空の上から俗界を眺めるかのように
哲学的な問いかけ
役立たずでいればこそ
「無用の用」、これぞ『荘子』の真骨頂
異形の者こそが輝いている
「真人」の姿
道教の神としての荘子
ゆったりと、そしてゆっくりとするために
基準を作りたがる人ほど迷惑なものはない
「天放」という理想社会
ダメなところを知っている、それで十分
機械が作り出した世界の行き着く先
古典など、しょせんは搾りカス
文字も読めない職人が語る古典論
がんばり過ぎてはいけない
小さな負けを積み重ねるという極意
駿馬と猫、それぞれに見事である
知らないことが多くて当たり前
心配事が多いのは、幸せの証拠
信頼し合っている者どうしは、なぜか淡白
草も木も空も海もいちいち説明しないだけ
誰のからだも皆すべて自然界からの借り物
ひとりよがりの議論好き
荘子は世俗の中で
地位や栄誉には見向きもせず、しなやかに 147夜空の星とともに
【コラム】「荘子」の正体は……?
日本人と老荘思想
桃源郷の原風景
家康も好んだという名言
二つの勇気
クマのプーさんと老荘思想
高山祭のからくり人形にも……
項羽と劉邦、その覇権争いの風景
銀座のママの男の見分け方
「読老会」という集団
『橋のない川』住井すゑの「抱樸舎」
「天網恢恢…」この諺も『老子』から
高山樗牛の由来
坪内逍遙の由来も
霞を食って生きているのが仙人、だが…
「朝三暮四」の故事の由来
蝶といえば夢、夢といえば荘子
市川拓司『そのときは彼によろしく』にも
料理道具の包丁、実は人名
齋藤孝『声に出して読みたい日本語』にも
『近世畸人伝』おおいに売れた
伯楽≠チて困った人なんです
『徒然草』には『荘子』がいっぱい
夏目漱石『我輩は猫である』にも
江戸庶民も大好き、大工の扁さん
宮大工棟梁・西岡常一の「手の記憶」
「顰に倣う」の由来はこれ
後白河院の『梁塵秘抄』にも『荘子』
河童の原形らしきもの『荘子』にあらわる 207「井の中の蛙」のその後
中江兆民・幸徳秋水の号も『荘子』から
『荘子』の中の魑魅魍魎たち
不世出の名横綱・双葉山の到達点
中島敦『名人伝』のモチーフ
「宇宙」という言葉、実は『荘子』から
「蝸牛角上の争い」の典拠
「筌蹄」という語の出典
『源氏物語』も実は「寓言」?
愚直なまでに人を信じた男
武芸の奥義は『荘子』にあり
湯川秀樹と『荘子』
かぐや姫にも『荘子』
『万葉集』にも詠まれた憧れの理想郷
『今昔物語集』にも登場する寓話の舞台裏
浮世草子にも登場してくる『荘子』
孔子、老子、釈迦とともに遊郭へ行く
「至れり尽くせり」の本当の意味
おわりに |
|
|