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■内容説明
色とりどりの個性が闊歩した愛知洋画壇の耀きをたどり、ゆかりの画家たちがのこした不朽の“遺産”をひもとく。
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■目次
愛知洋画壇物語 PARTU 目 次
一 絆─愛知の洋画家たち
二 明治期、愛知の洋画家たち
野崎華年 油彩画《武具》と水彩風景画と
鈴木不知 愛知県在住者で初の文展入選に
人見 彌 大正期、名古屋における洋画壇の第三極
島田卓二 洋画を東三河に
加藤静児 新派のホープ、東京で活躍
三 大正期、愛知の洋画家たち─「愛美社」を中心に
大澤芸術のさらなる評価を
大澤鉦一郎《裸の自画像》―生誕一一五年展でのこと
大澤鉦一郎《小さい椅子》―「八九年ぶり発見」
宮脇 晴《自画像 十七歳》にみる呼吸のたしかさ
宮脇 晴―大澤鉦一郎と岸田劉生を追って
宮脇 晴―《母が結核と判って悲しかった日》
萬代比佐志《姉妹立像》にみる健康的な思想
森 馨之助「美が内からにじみ出るよう」な作品
鵜城 繁の一九二一年
藤井外喜雄 大正期の輝き
水野正一《娘の肖像》にひそむ「狂気」
山田睦三郎の栄誉
高須光治《自画像》にみる決意と意気込み
村山槐多「アニマリズム」とその前後
四 大正末から昭和初期、愛知の洋画家たち
─「サンサシオン」を中心に
資料集『サンサシオン一九二三〜三三
―名古屋画壇の青春時代―』を刊行して
鬼頭鍋三郎と白いブラウス
鬼頭鍋三郎の滞欧
鬼頭鍋三郎の舞妓
松下春雄と「サンサシオン」の時代
中野安次郎《運動場》にみる気骨と造形精神
加藤喜一郎「サンサシオン」と医学と
遠山 清先生の「夢が画布にじゅうぶんためされた天質」
遠山 清 若き日の仏画をめぐって
大澤海蔵と「サンサシオン」の画家たち展
―「朗らかな人間的な美術の確立」
大澤海蔵先生―「コジキになっても」
富澤有為男 画家として、「芥川賞」小説家として
加藤松三郎の夭折
山内静江 愛知の女性洋画家の先駆
三岸節子「女流」を越えて
杉本健吉―その絵画にみる巨匠の証し
杉本健吉先生の「画商亡国論」
筧 忠治 自画像の画家
筧 忠治《自画像22》入手の記
小川博史先生を偲んで「サンサシオン」と緑ヶ丘中央洋画研究所と
鈴木三五郎 自画像から「緑の画家」へ
五 大正末から昭和初期、愛知の在野系の洋画家たち
─「緑ヶ丘中央洋画研究所」を中心に
横井礼以《庭》への自覚と責任
横井礼以《丸髷の夫人》にみるフォーヴィスムの本質
横井礼以《秋草と赤蜻蛉》
―「日本こそ最も仕事の仕甲斐のある位置」
尾沢辰夫《鴨》の異質
市野長之介 フォーヴイスムの「リアリティー」
西村千太郎 フォーヴィスムの時代
藪野正雄《砂丘》にみる骨太なデッサン力
北川民次 メキシコから瀬戸へ
山田光春 画業と著作と
六 愛知、シュルレアリスムの画家たち
─「ナゴヤアバンガルドクラブ」を中心に
下郷羊雄 シュルレアリスム絵画と写真と
岡田 徹先生の厳格
吉川三伸シュルレアリスムの集大成―「一九四〇年追憶」連作
白木正一先生からの贈りもの
堀尾 実の前衛日本画
北脇 昇《章表》にみる 批判精神としてのシュルレアリスム
七 愛知、滞欧の画家たち
牧野義雄「霧の画家」、ロンドンでの栄光
山本 鼎 滞欧と「児童自由画教育運動」
佐分 眞「自分と云うものの姿」
小堀四郎の孤高
安藤邦衛―アメリカとフランスと
鬼頭甕二郎《裸婦》にみる「エコール・ド・パリ」
伊藤順之助《婦人像》にみる感覚のここちよい震え
荻須高徳とパリの街かど
和達知男 ダダから新即物主義へ
八 戦後の愛知洋画壇
和田英作の知立時代
太田三郎 都市生活のモダニズム
伊藤清永先生の気骨
伊藤 廉 桑原幹根旧蔵作品をめぐって
小磯良平の愛知県立芸術大学客員教授時代
辻 親造 世相のなかの「かかし」連作
浅野弥衛先生を悼む
浅野弥衛先生の余徳 燭台マークのことなど
〈付録一〉 『愛知洋画壇物語』(パートT)の周辺
文部省美術展覧会(文展、のち帝展、新文展など)
―愛知県ゆかりの洋画家の入選一覧(一九〇七〜一九四四年)
愛知県ゆかりの洋画家の滞欧年表
拙著『愛知洋画壇物語』(パートT)をめぐって
移動美術展について
インタビュー 創業七〇年―画廊業の喜び
〈付録二〉 先達に学ぶ─美術への眼差し
大川美術館・大川栄二さんの激励を受けて
美学と「経営」―梅野 隆さんのこと
『藝林』三〇〇号を祝って―梅野 隆さんのこと
窪島誠一郎氏―信濃デッサン館、無言館を越えて
合気道師範・多田 宏先生の言葉―「いい絵には呼吸がある」
豊田喜一郎と稲盛和夫塾長を美術業界から仰ぎ見て
画廊一代―桜画廊・藤田八栄子氏に学ぶ
北川フラム氏と「大地の芸術祭」―講座「自然・社会・人間・美術」を聴いて
画廊とは何か─中山真一氏の場合 久野和洋
謝辞―あとがきにかえて
索引 |
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