煙草
夢の茂みに煙草をおとさないで下さい (松本恭子)
何々して下さい、何々しないで下さい、という文体は、しばしば見かける。二人の対話の場合もあれば、この世界の誰か不特定者に向けてのメッセージの場合もあるけれど、一般に、そう言う人の求める内容以上に、言う人と言われる他者なり世界なりとの関係が作品の核になる。ただ、この句では少し何かが違っていて、関係の構築そのものが拒まれているらしい。夢のレベルでの禁止は、裏を返せば、現実のレベルでその要因を拒んでいるのに等しいのだから。 わたしの夢の茂みに煙草をおとすなというのは、わたしの夢であなたが煙草を吸う吸わないの問題ではない。煙草はあなたの二次的な印象であり、あなたはわたしの夢のなかに踏みこんで来るな、あなたの夢をわたしに見させるな、と言っているのと同じなのだ。現実では許容せざるを得ない他者との関係をそれだけのものにしたいのだろう。夢にだけは踏みこむな、踏みこむならば現実のレベルでの関係も断つ、と言わんばかりの孤立への希求が見える。むろん、あなたの側に何か悪意があるわけではない。あなたの側はここでは問題にされていないのだ。
れもん尖る鏡のもつとも深きところ 胎内に棲む鳥の声知らず ダリア掘ればわたくしといふ球根 暗き家の杏の匂ふねぢをぬく
いずれも第二句集『夜の鹿』(青幻舎)の句。この人の俳句は、いわゆる情念系の川柳に似ていると思いこんでいたけれど、人事を背景に突き放したとき、ことばや物の湿度が一気に下がって、孤立した者の感覚が底光りするような句を生んでいる。
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