短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
親切心と空飛ぶ車

 冬のある日、高速道路のパーキングエリアで缶コーヒーを買おうとして、自動販売機の正面にべったりと貼り紙があるのに気づいた。「補充したばかりです 暖まるまで一時間」とかなんとか、そういう内容だったと記憶している。まさにあったかい飲み物を買おうとしていたので、おお、とコインをひっこめて別な販売機を探す。と、背後で「なんだこれ、しゃっけえぞ!」という声がした。あれだけでかでかと書かれてたのに、紙が目に入らず、「まだあたたまってないコーヒー」を買ってしまった人がいたのだ。
 動く歩道を利用する。終端に近づくと「まもなく歩道が終ります。足元に注意してください」というアナウンスが繰り返し流れる。歩道そのものの距離、サイズが短くても流れる。動く、といっても普通に早歩きするよりずっとゆっくりな速度で進むコンベアを、まさか踏み外す人もいないでしょうに、と思っていると、けつまずいた後なにごともなかったように歩いて行く人がいるのだ。そしてそういう人をせせら笑う自分も例外ではない。
 生活を改善しようとか、より便利で快適な暮らしのために何かを開発したり、改変したあかつきには、そこにいろいろな説明や注意が促される必要が生じる。そのどこまでが親切で、どこからが大きなお世話なのか。…というより、便利にしたい、快適にしたいという想像力が現実に置き換わった瞬間に発生する、副産物としての「注意」のほうが、生活そのものを蝕んでいるような気がするのはなぜか。あんなこといいな♪という想像力が、危機から身を守る想像力とまったく別物なはずはないのに。
 自動車のCFで、無人に見える自動車が身震いをして街路をさっそうと駆け抜けたり宙を飛んだりする画面の隅に「この映像はCFのための特殊な撮影を行っています」的なテロップが必ず映る。思わず肘がかっくんと外れる。そこまでわからなくなってしまってはいないですよ、と思う。思うが、笑えない。現実と幻想の境界がどれだけ曖昧になっているのかを、我々が日々すでに実感しはじめているからだ。

 航空機発達以前雨の朝巴里に死すなどを客死といふ
           小池光『滴滴集』
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