短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2006.6.1
2006.6.2
 
2006.6.3 →


佐藤りえ

 
池上観賞記

 上着のいらない季節を過ぎてそろそろ夏っぽい日々が増えてきた。雨上がりの公園で池を眺めていると、透明度の低い水面の奥のほうから亀が浮上してきた。じぶんのからだの何倍もの大きさの鯉をかいくぐりながら、あきらかに欄干から身を乗り出している我々のほうめがけて泳いでくる。首をせいいっぱい伸ばしてこちらを見上げたかと思うと、また水中深く没していくのであった。亀の視覚はどのぐらいあって、果たして我々の姿が彼らにはどう見えているのだろうか。
 群がる鯉はどれも餌目当てで、こちらは習性として近寄った人間がそういう行動(餌に類するものを自分たちに投げてくれる)を取ることを知っているのだと思う。しかし亀は投げられた鯉の餌やスナック菓子がじぶんの鼻先に落ちても、口をつけようとはしない。池には池の掟があって、鯉の餌に手を出した亀にはドン・コルレオーネ的鯉があとあと制裁を加えたりするのかもしれないけれど、とにかく亀は、ただ鯉と一緒に群がり、浮いたり沈んだりしている。さらによく見ていると、他の魚はおろか、亀同士でもしょっちゅうぶつかりあっている。おまえらいったい何を見ているんだ、とツッコミを入れたくなる。
 水草の生えた辺りの木の杭の先端には一本にいっぴきの亀が登って甲羅干しをしている。そこら中の杭が亀で蓋をされたようになっている。私が見ている間中、とうとういっぴきの亀もそこから降りることはなかった。降りるどころか身じろぎもしなかった。干物、という言葉が脳裏をよぎる。活発に泳いでいる亀の多くは十年は生きたような立派な甲羅をもっていたが、いっぴきだけ、縁日で釣られているようなゼニガメが漂っていた。彼なりに必死に泳いでいるのだとは思うがしっくりくる表現はやはり「漂う」だろう。
 亀で蓋をされた杭の近くでは、かいつぶりの親子がせわしなく生息していた。泳ぎがまだおぼつかない雛にかぎって親鳥のあとをどこまでもついていこうとする。若者(?)が無謀なのは鳥も同じことのようである。他人事か。
← 2006.6.1
2006.6.2
 
2006.6.3 →